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ウーンソケット (ロードアイランド州) : ミニ英和和英辞書
ウーンソケット (ロードアイランド州)[す, しゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ソケット : [そけっと]
 (n) socket, (n) socket
ドア : [どあ]
 (n) door
アイランド : [あいらんど]
 (n) island, (n) island
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ウーンソケット (ロードアイランド州) : ウィキペディア日本語版
ウーンソケット (ロードアイランド州)[す, しゅう]

ウーンソケット(、 )は、アメリカ合衆国ロードアイランド州の北部プロビデンス郡の北端に位置する都市である。2010年国勢調査では人口41,186 人であり州内第6位だった。市の北は直接マサチューセッツ州と接する。
市内にはドラッグストアチェーンのCVSヘルスが本社を置いている。他にはランドマーク医療センター、セントジョン・バプテスト・ユニオン、労働と文化の博物館、アメリカ・フランス系譜協会がある。
== 歴史 ==
17世紀、ロードアイランド北部にヨーロッパ人開拓者が入って来る以前、現在のウーンソケットがある地域には、ニプマク族、ワンパノアグ族、ナラガンセット族というインディアンの3部族が住んでいた〔Woonsocket, Rhode Island – My Home Town – History 〕。1661年、イングランド人の神学者ロジャー・ウィリアムズが「カウセットとニプマク」からこの地域を購入し、ある文書で現在のウーンソケットを「ニスウォサキット」と呼んでいた〔Walter Nebiker, ''The History of North Smithfield'' (New England History Press: Somersworth, NH: 1976), 12–13.〕。
名前についてその他可能性ある派生形には、隣のマサチューセッツ州から地理的な名前であるニプマクの幾つかの形があった。例えばマサチューセッツ州ウースター郡から「キツネの国」を意味する「ウーンクセチョクセット」、また同じくウースター郡から「川の支流で」を意味する「ワナショワタッカット」があった。別の説では、市の中央にあるブラックストーン川で最大の滝のことを言う「雷の霧」(サンダーミスト)からウーンソケットになったというものだった。さらに別の説では、隣接するノーススミスフィールド町にあるウーンソケットヒルにちなんで名付けられたとしている。
ウーンソケット・フォールズ・ビレッジは1820年代に設立された。その資産は産業革命が近くのポータケット市で根付いた時に大きくなった。ブラックストーン川が豊富な水力を提供し、この地域は繊維工場の中心地となった。ウーンソケットが町になったのは1867年であり、現在の市内にあるカンバーランドすなわちウーンソケットフォールズ、ソーシャル、ジェンクスビルの3つのビレッジが公式に1つの町になった。この時までにフランス系カナダ人が移民してくるようになっていた。
1871年、スミスフィールドにあるハムレット、バーノン、グローブという3つの工業ビレッジが併合され、現在のウーンソケット市領域ができた。ウーンソケットは1888年に市として法人化された。
世界恐慌のとき、繊維工場も閉鎖され、かなりの失業者を出した。この時点で人口の75%がフランス系カナダ人だった。フランス語新聞が発行、販売され、ラジオや映画でもフランス語のものがあった。大衆の会話もフランス語だった〔Pierre Anctil, "Franco-American in New England" in Dean R. Louder and Eric Waddell, ed., and Franklin Philip, tran. ''French America: Mobility, Identity and Monority Experience Across the Continent'' (Baton Rouge: Louisiana State University Press, 1993), p. 40〕。第二次世界大戦のときに、戦争遂行のための繊維生産の中心となり、繊維工場が復活した。戦後、ウーンソケットの経済は、種々の製造業、小売業、技術と金融サービスの混合になっていった〔。しかし、1980年代初期、市はまた高い失業率を味わった〔Anctil, "Franco-Americans in New England", p. 41〕。1980年ウーンソケット人口の70%がフランス系カナダ人だった〔。
1979年から、ウーンソケットでは毎年コロンブス・デー(10月第2月曜日)の週末に、第二次世界大戦退役兵の記念州立公園で、オータムフェストを開催するようになった。これは市内でも最も人気ある行事になってきた。

ファイル:GroveStSchoolWoonsocket.JPG|グローブ通り小学校(1876年建設)
ファイル:Post Office Square, Central Part of Woonsocket, Rhode Island.jpg|1855年のウーンソケット


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウーンソケット (ロードアイランド州)」の詳細全文を読む




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